アケメネス朝の滅亡

ペルセポリスはダレイオス1世が建設したが、完成したのはクセルクセス1世のときである。この王朝の特徴としてサトラップ制、王の目王の耳、王の道などは既に述べたが、ほかには貨幣制度の導入がある。ペルシアの金貨は帝国の統一貨幣としての役割を果し、国内の商業の発展を促進した。また、ギリシアなどでも通用し、当時の世界通貨的な面を持つようになった。また、農業も重視され、被征服地から新しい作物を持ち込むことなども行われた。イラン北西部辺りで始まった地下水路(カナート)がこの時代になると乾燥した高原地帯でも広く普及していった。カナートは現在でもイランを中心に各地でみられるが、降雨の少ない中東地域では非常に重要な施設である。飛行機の窓から下を見た時に、山の裾野から平地に向かって〇状のものが連なっているのが見えることがある。これはカナートを掘った時に地下から掘り出した土饅頭のようなもので、中心部に穴があいているのである。この〇をつなぐ線の下に地下水路が流れているのである。その構造は次の図のようになっている。カナートの終点は地表になり、そこはオアシスである。この水のおかげで人が住むことができ村ができる。隊商の人々やラクダにとっての貴重な水を提供しているのである。

アケメネス朝は上の系図が示すように11代国王まで続いて滅亡するのであるが、この間、ギリシアとの度重なる戦いもあった。その一つマラトンの戦い(BC490)で、この時にギリシア側の戦士が勝利を伝えるために走ったことが現在のマラソンの起源となっていることは皆さんご存知のことですね。このペルシア帝国を滅ぼしたのはマケドニアの若き英雄アレクサンドロスであった。ペルセポリスはアレクサンドロス軍の攻撃で炎上し滅び去ったのであった。

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