いよいよアレクサンドロス大王の登場である。アケメネス朝ペルシアを滅ぼしたのは、マケドニアの若き英雄アレクサンドロスであった。上の画像は講談社発行興亡の世界史第1巻『アレクサンドロスの征服と神話』の表紙である。タイトルの背景はペルセポリスである。馬の顔のようなのは柱頭に据えられたものであり、これは伝説的な架空の動物(鳥?)である。たしかペルシア語でhomaと呼んでいたように思う。余談はさておいて、アレクサンドロスはペルシアを征服したが、ペルシアの制度や文化を否定することなく、また自己のギリシア・マケドニアのそれを押し付けるのでなく、両者の融合を図った。彼自らがペルシアの女性を娶り、部下にもそのように奨励した。ペルシアとギリシアの融合:東と西の融合が進んでいった・・・・ヘレニズム文化である。
アケメネス朝ペルシアの大帝国はアレクサンドロスの帝国となった。彼はさらに東方へ領土を拡大しようとしたが、兵士たちの多くに疲れが現れていた。故国を遠く離れ、過酷な自然条件のもとでの長い遠征の途であった。兵士たちの不満も高まりつつあった。そんな折に、アレクサンドロスは突然この世を去ったのであった。BC323年、バビロンにて病死、32歳の若さであった。この若さでの死は彼に後継者を定めさせる思いも時間も与えていなかった。リーダーを亡くした帝国は混乱状態になった。アレクサンドロス亡き後は、上図のように3つに分裂する。マケドニア本国はアンティゴノス朝に、エジプトはプトレマイオス朝に、そしてペルシア一帯を含む東方はセレウコス朝となったのである。エジプトのプトレマイオス朝といえばクレオパトラだ。そうなるとローマ帝国も登場する。華やかな世界史となりそうではあるが、ここ中東世界ではそれぞれの王朝が図に記しているように200年から300年後には全てが滅亡しているのである。興亡の世界史とはよく言ったものである。