イラン映画「友だちのうちはどこ?」

昨日(2020年4月27日)の中日新聞のホームシアターというコラムで表題の映画が紹介されていた。ブルーレイが4800円(税別)、DVDが3800円(税別)らしい。映画は1987年制作で、監督が有名なアッバス・キアロスタミである。8歳の小学生がクラスメートのノートを間違って持ち帰ったので、それを返しに行こうと友達の家を探して歩くというストーリーである。その過程で、学校の先生、家族、村人たちとの接触があるわけだが、結局友だちには会えず、ノートを返すこともできなかった。それだけの話である。このコラムの筆者は「イラン革命の後、検閲が厳しくなる一方だった87年に撮影された映画だけに、監督のアッバス・キアロスタミは、困難に直面して困ったり、知恵を絞ったりする少年の姿を借りて、検閲に対する批判や自由に映画が作れないことへの不満を語っているのかもしれないと思う」と記している。

確かに当時は検閲が厳しい時代であった。男女間の恋愛感情を直接的に表現することは難しかった。体制に対する批判的な内容もNGであった。それがゆえに、イラン映画は表現の自由が制約された中でいかに表現するかを競い合った。それゆえにイラン映画は「鋭く研ぎすまされてきた」のであると、私は思う。

ただ、この作品では、私は筆者が言うように「検閲に対する批判や、自由に映画が作れないことへの不満」を語っているようには感じなかった。私が、この作品を通して感じたのは、「誰も少年の思いに気づくことなく、気づこうともしない、また、理解しようとしない大人たちの身勝手さ」であった。それはもしかしたら、大人たちが体制であって、少年が国民であったのかも知れない。もしそうだとしたら、キアロスタミ監督の体制に対する批判になるのかもしれないが。とにかく、映画の週末になるにつれ「やるせない」思いが湧いてきたのであった。そして、最後の教室での場面。友だちに返そうとして、開いたノートから白い花が現れたとき、そのやるせない思いが、ぱっと吹っ飛んだのであった。素晴らしい演出であった。この花についてコラムの筆者は「ノートにはさんでおくんだよ」とくれた老人の優しさがうれしいと記している。やはりこの映画において、この花の存在は秀逸であった。

私がこの映画を見たのも1980年代末である。NHKで放映されたのを見た。ビデオに撮った。そして、機会があれば人にも紹介した。その後、キアロスタミの三部作なるものも見た。一つは1992年『そして人生はつづく』である。

そして『オリーブの林をぬけて』(1994年)の3つで三部作と言われている。その後、1997年には『桜桃の味』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。1999年の『風が吹くまま』はヴェネツィア国際映画祭審査員賞特別大賞を受賞した。東日本震災後の映画を作るために来日し、2012年には、『ライク・サムワン・イン・ラブ』を日本で製作した。2016年7月4日、がん治療で訪れていたパリで逝去。76歳であった。・・・イラン映画についてもっと紹介したい気持ちが湧いてきた!

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