第2章にはもうひとつ興味深い「利息」のことがあります。今ではイスラム社会では利子・利息は禁止されていることが広く知られるようになっています。それをクリアしたイスラム銀行が存在することや、イスラム法に抵触しない金融取引が存在するようになっています。さて、コーランではどう書かれているのでしょうか。
第275節「利息を喰らう人々は、(復活の日)すっと立ち上がることもできず、せいぜいシャイターン(サタン)の一撃をくらって倒された者のような(情けない)立ち上がり方しかしないであろう。それというのも、この人々は「なあに商売も結局は利息を取るようなもの」という考えで(やっている)。アッラーは商売はお許しになった。だが利息取りは禁じ給うた。神様からお小言を頂戴しておとなしくそんなこと(利子を取ること)をやめるなら、まあ、それまでに儲けた分だけは見のがしてもやろうし、ともかくアッラーが悪くはなさるまい。だがまた逆戻りなどするようなら、それこそ地獄の劫火の住人となって、永遠に出してはいただけまいぞ。」
第276節「アッラーは(最後の審判の日には)利息の儲けをあとかたもなく消して、施し物には沢山利子をつけて返してくださる。アッラーは誰であろうと罪業深い無信仰者はお好みにならぬ。」
第277節「(だが)立派な信仰をもち、善行をなし、礼拝をきちんと守り、喜捨を出す人たち、そういう人たちの御褒美は神様が引き受けてくださり、もう何も怖ろしい目にも悲しい目にも逢うことはない。」
第278節「これ、信者の者、アッラーを畏れかしこめよ。まだとどこおっている利息は帳消しにせよ。汝らが本当の信者であるならば。」
第279節「だがもし汝らがそれがいやだと言うのなら、よいか、アッラーとその使徒(ムハンマド)から宣戦を受けるものと心得よ。しかし(そのあとでも)もし悔い改めるなら、元金だけは残してやる。つまり自分でも不当なことをしなければ、ひとからも不当なことはされないのじゃ。」
ながながと引用したが、利息を取ることを相当強く禁じている雰囲気が伝わってくるようではありませんか。そして、ここでも、悔い改めれば元金だけは戻してやろうぞとあるように、非常に現実的な対応策を提示しているのである。商取引の規則のような感じさえしてきます。
このあと「貸借」についても記述もでてきます。簡潔にいうと、貸借関係はアッラーの教えの通り、きちんと契約書を作っておくようにとか、債務を負うべき者が白痴や精神衰弱者である場合は後見役をつけたり、男二人が証人として立ち会うこと、もし男二人がいなければ男一人に女二人を証人にすることなど、事細かく現実的な内容が記されているのです。直接関係があるかどうかはわかりませんが、私が1971年にイランに赴任した時のことですが、会議をしたときは直後に会議で決まったことが書類に作成されて参加者が署名していました。そうした書類をとじたファイルが会社の書棚にズラッと並んでいたことを思い出しました。会議録だけでなく、何事も文書化して後日トラブルのないようにしていました。これはイスラムだけではなく、契約社会の外国では当たり前のことなのかもしれません。これにて第2章は終わりにいたしましょう。
冒頭の画像の出典は前回と同じです。羊皮紙に書かれたコーランの一頁です。9-10世紀のもので、書体はクーヒー体です。