想い出の中東・イスラム世界:イスラムの若者たち(1970年代)

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テヘランにあるゴレスターン宮殿(カージャール朝の王宮)

新年以後、ほぼ3週間の間、歴史の流れに沿ってこのブログを書いてきた。そして、いま七世紀のイスラム初期に入ったわけである。読者の方々が、ずっと歴史を読み続けるのも少々疲れるかもしれない。そこで今日は歴史を離れた話題を提供しようと思う。カテゴリーは「想い出の中東・イスラム」としておこう。

私が最初にいった海外がイランで1971年であった。当時のイランはパーラヴィー国王時代で脱イスラムの方向に向かっていた。女性たちもチャドール(女性が頭から身体全体を隠すヴェール)を被らないようになりつつあった。私は24歳であったが、会社には同世代の若い人もいたから、すぐに友達になった。イスラムの人たちである。ある時、パーティをするからと誘われたことがあった。仕事を終えて集まったのは夜の9時ごろで、そこには20人以上の若者がいて、照明を落として、薄暗い広間だった。ソフトドリンクとクッキーやケーキなどが用意されていて、おしゃべりの場であった。自分は殆どの人が初対面だったから、皆と最初の自己紹介的な会話をしていた。途中から音楽の音が大きくなって、皆が立ち上がり踊り始めたのだった。少し、テンポの速い曲でムード音楽ではない。フォークダンスではないけれども、輪になって回っていくような踊りで盛り上がった。社交ダンスならできないのでホッとしたのだった。その時に、ここはイスラムの国だと改めて気づいたのだった。というのは、その時の音楽の歌詞が時々「エイ ホダー、エイ ホダー」と繰り返すのである。ホダーといいうのは khoda-というスペルで神という意味だ。若者たちが「おー神様、おー神様」という歌詞の下で踊っているということが、印象的だった。繰り返し踊り、食べて、喋り、また踊る。夜も更けて疲れたころになりやっとスローな曲になった。いよいよお開きだった。この日は、この家の親たちは旅行で不在のために、ここを会場にして集まったという。その後も何度か誘われた。そんなパーティが私の思い出の若者同士の集いであった。その頃の若者たちのファッションは日本と一緒であった。日本ではミニスカートをはいたツィッギーという女性が大人気になり、テヘランでもミニが流行した時代であった。

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