放送大学のこと

昨日放送大学の講座「中東の政治」について紹介しました。そして、今朝のことですが、6時にそろそろ起きようかなと思って、ベッドからテレビを点けました。チャンネルを回していると、BS231チャンネルで「中東の政治」の高橋和夫先生の講義が始まったところでした。今日の科目は「世界の中の日本」でした。タイトルから判断すると、この科目は中東に焦点を当てたものではないと思ったのですが、今回のテーマは「オスロ合意」でした。オスロ合意というのは、1993年、ノルウェー外相の仲介でイスラエルとPLOが初めて和平交渉に合意した出来事でした。パレスチナ暫定自治協定が成立したわけです。ここで和平へのロードマップが作られて、和平が実現するであろうと淡い期待が生まれたのでした。

当事者であったパレスチナのアラファト議長、イスラエルのラビン首相、ペレス外相には1994年にノーベル平和賞が送られたのでした。でも、あれから30年近くが経過した今も和平はほど遠いのが現状です。

今日の講義はオスロ合意がパレスチナとイスラエルに中立的な立場であるノルウェーという国が公平な仲介をした結果ではないということを、ノルウェーの歴史学者のインタビューをいれて説明していました。イスラエル寄りのノルウェーが、イスラエルという強者の意向を反映するように仲介した結果であると。アラファトも、それをよく理解していて、その時のパレスチナという弱い立場では、これに合意するしかなかったという見方でした。

それ以前のPLOはフセインのイラクのバックアップがあった。イスラエルに敵対するパレスチナにはアラブ諸国の支持があった。ソ連のゴルバチョフ政権も味方した。しかし、イラクのクウェート侵攻、そして湾岸戦争により、湾岸のアラブ諸国はイラクとは対立する立場になった。アラファトはそのイラクと袂を分かつことなく、イラクの侵攻に若干の理解を示したことから、アラブ諸国もPLOへの支援を止めてしまう。湾岸戦争で石油収入の途絶えたイラクはもはやPLOを支援する余裕は無くなってしまった。ソ連はゴルバチョフがペレストロイカを推し進め、冷戦も終結に向かった。ベルリンの壁が崩壊した。アラファトに肩入れしていたソ連自体が崩壊してのであった。これが上述の赤太線で示した「弱い立場」である。

オスロ合意の背景を分かりやすく講義していました。この科目は中東に焦点をあてたものではありませんが、幅広い視野で世界を見つめることができると思いました。次回も視聴してみます。皆様にもお勧めいたします。

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