小川亮作訳『ルバイヤート』101~107「むなしさよ」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第7章「むなしさよ」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

むなしさよ

101
九重の空のひろがりは虚無だ!
地の上の形もすべて虚無だ!
たのしもうよ、生滅の宿にいる身だ、
ああ、一瞬のこの命とて虚無だ!

102
時の中で何を見ようと、何を聞こうと、
また何を言おうと、みんな無駄《むだ》なこと。
野に出でて地平のきわみを駈《か》けめぐろうと、
家にいて想いにふけろうと無駄なこと。

103
世の中が思いのままに動いたとてなんになろう?
命の書を読みつくしたとてなんになろう?
心のままに百年を生きていたとて、
更《さら》に百年を生きていたとてなんになろう?

(104)
地の青馬にうち跨《またが》っている酔漢《よいどれ》を見たか?
邪宗も、イスラム*も、まして信仰や戒律どころか、
神も、真理も、世の中も眼中にないありさま、
二つの世にかけてこれ以上の勇者があったか?

105
戸惑《とまど》うわれらをのせてめぐる宇宙は、
たとえてみれば幻の走馬燈だ。
日の燈火《ともしび》を中にしてめぐるは空の輪台、
われらはその上を走りすぎる影絵だ。

106
ないものにも掌《て》の中の風があり、
あるものには崩壊と不足しかない。
ないかと思えば、すべてのものがあり、
あるかと見れば、すべてのものがない。

107
世に生れて来た効果《しるし》に何があるか?
生きた生命の結果として何が残るか?
饗宴の燭《ともしび》となってもやがて消えはて、
ジャムの酒盃*となってもやがては砕ける。

小川亮作訳『ルバイヤート』74~100「ままよ、どうあろうと」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第6章「ままよ、どうあろうと」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

この挿絵は㈱マール社発行『ルバイヤート ペルシャで生まれた四行詩集』から拝借いたしました。この本の和訳は竹友藻風によるもので、美しい調べの見事な訳で有名です。フィッツジェラルドの英訳からの重訳でありますが、ペルシャ詩のイメージを伝えている名訳だと思います。

ままよ、どうあろうと

74
マギイ*の酒に酔うたとならば、正《まさ》にそうさ。
異端《いたん》邪教《じゃきょう》の徒というならば、正にそうさ。
しかしわがふるまいを人がどんなにけなしたとて、
われはどうなりもしない、相変らずのものさ。

75
わが宗旨はうんと酒のんでたのしむこと、
わが信条は正信と邪教の争いをはなれること。
久遠の花嫁*に欲しい形見は何かときいたら、
答えて言ったよ――君が心のよろこびをと。

76
身の内に酒がなくては生きておれぬ、
葡萄酒《ぶどうしゅ》なくては身の重さにも堪えられぬ。
酒姫《サーキイ》がもう一杯《いっぱい》と差し出す瞬間の
われは奴隷《どれい》だ、それが忘れられぬ。

77
今宵《こよい》またあの酒壺を取り出してのう、
そこばくの酒に心を富ましめよう。
信仰や理知の束縛《きずな》を解き放ってのう、
葡萄樹の娘*を一夜の妻としよう。

(78)
死んだらおれの屍《しかばね》は野辺《のべ》にすてて、
美酒《うまざけ》を墓場の土にふりそそいで。
白骨が土と化したらその土から
瓦《かわら》を焼いて、あの酒甕《さかがめ》の蓋《ふた》にして。

(79)
死んだら湯灌《ゆかん》は酒でしてくれ、
野の送りにもかけて欲しい美酒《うまざけ》。
もし復活の日ともなり会いたい人は、
酒場の戸口にやって来ておれを待て。

(80)
墓の中から酒の香が立ちのぼるほど、
そして墓場へやって来る酒のみがあっても
その香に酔《よ》い痴《し》れて倒れるほど、
ああ、そんなにも酒をのみたいもの!

81
尊い命の芽を摘みとられる日、
身体の各部がちりぢりに分れる日、
その土でもし壺を焼いたら、さっそく
酒をついでよ、息を吹きかえすに。

(82)
命の幹が根を掘られて、
死の足もとにうなじをたれよう日、
身の土だけは必ず酒の器に焼いてくれ、
しばらくは息をつこう、酒の香に。

(83)
愛《いと》しい友よ、いつかまた相会うことがあってくれ、
酌《く》み交《か》わす酒にはおれを偲《しの》んでくれ。
おれのいた座にもし盃《さかずき》がめぐって来たら、
地に傾けてその酒をおれに注《そそ》いでくれ。

(84)
あのしかつめらしい分別《ふんべつ》のとりことなった
人たちは、あるなしの嘆きの中にむなしく去った。
気をつけて早く、はやく葡萄の古酒を酌《く》め、
愚か者らはまだ熟《う》れぬまに房を摘まれた。

(85)
法官《ムフテイ》よ、マギイの酒にこれほど酔っても
おれの心はなおたしかだよ、君よりも。
君は人の血、おれは葡萄の血汐《ちしお》を吸う、
吸血の罪はどちらか、裁けよ。

(86)
或る淫《たわ》れ女《め》に教長《シャイク》*の言葉――気でも触れたか、
いつもそう違った人となぜ交わるか?
答えに――教長《シャイク》よ、わたしはお言葉のとおりでも、
あなたの口と行《おこな》いは同じでしょうか?

(87)
恋する者と酒のみは地獄に行くと言う、
根も葉もない囈言《たわごと》にしかすぎぬ。
恋する者や酒のみが地獄に落ちたら、
天国は人影もなくさびれよう!

88
天国にはそんなに美しい天女がいるのか?
酒の泉や蜜《みつ》の池があふれてるというのか?
この世の恋と美酒《うまざけ》を選んだわれらに、
天国もやっぱりそんなものにすぎないのか?

(89)
天女のいるコーサル河*のほとりには、
蜜、香乳と、酒があふれているそうな。
だが、おれは今ある酒の一杯を手に選ぶ、
現物はよろずの約にまさるから。

(90)
エデンの園《その》が天女の顔でたのしいなら、
おれの心は葡萄の液でたのしいのだ。
現物をとれ、あの世の約束に手を出すな、
遠くきく太鼓《たいこ》はすべて音がよいのだ。

91
なにびとも楽土や煉獄《れんごく》を見ていない、
あの世から帰ってきたという人はない。
われらのねがいやおそれもそれではなく、
ただこの命――消えて名前しかとどめない!

(92)
おれは天国の住人なのか、それとも
地獄に落ちる身なのか、わからぬ。
草の上の盃と花の乙女と長琴さえあれば、
この現物と引き替えに天国は君にやるよ。

93
この世に永久にとどまるわれらじゃないぞ、
愛《いと》しい人や美酒《うまざけ》をとり上げるとは罪だぞ。
いつまで旧慣にとらわれているのか、賢者よ?
自分が去ってからの世に何の旧慣があろうぞ!

94
はじめから自由意志でここへ来たのでない。
あてどなく立ち去るのも自分の心でない。
酒姫《サーキイ》よ、さあ、早く起きて仕度をなさい、
この世の憂いを生《き》の酒で洗いなさい。

95
バグダード*でも、バルク*でも、命はつきる。
酒が甘かろうと、苦かろうと、盃は満ちる。
たのしむがいい、おれと君と立ち去ってからも、
月は無限に朔望《さくぼう》をかけめぐる!

(96)
選ぶならば、酒場の|舞い男《カランダール》*の道がよい。
酒と楽の音と恋人と、そのほかには何もない!
手には酒盃、肩には瓶子《へいし》ひとすじに
酒をのめ、君、つまらぬことを言わぬがよい。

(97)
酒姫《サーキイ》よ、寄る年の憂いの波にさらわれてしまった、
おれの酔いは程度を越してしまった。
だがつもる齢《よわい》の盃《つき》になお君の酒をよろこぶのは、
頭に霜をいただいても心に春の風が吹くから。

(98)
一壺の紅《あけ》の酒、一巻の歌さえあれば、
それにただ命をつなぐ糧《かて》さえあれば、
君とともにたとえ荒屋《あばらや》に住まおうとも、
心は王侯《スルタン》の栄華にまさるたのしさ!

99
おれは有と無の現象《あらわれ》を知った。
またかぎりない変転の本質《もと》を知った。
しかもそのさかしさのすべてをさげすむ、
酔いの彼方《かなた》にはそれ以上の境地があった。

100
酒姫《サーキイ》の心づくしでとりとめたおれの命、
今はむなしく創世の論議も解けず、
昨夜の酒も余すところわずかに一杯、
さてあとはいつまでつづく? おれの命!

小川亮作訳『ルバイヤート』57~73「無常の車」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第5章「無上の車」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

 

無常の車

57
君も、われも、やがて身と魂が分れよう。
塚《つか》の上には一|基《もと》ずつの瓦《かわら》が立とう。
そしてまたわれらの骨が朽《く》ちたころ、
その土で新しい塚の瓦が焼かれよう。

(58)

地の表にある一塊の土だっても、
かつては輝く日の面《おも》、星の額《ひたい》であったろう。
袖《そで》の上の埃《ほこり》を払うにも静かにしよう、
それとても花の乙女《おとめ》の変え姿よ。

59

人情《こころ》知る老人よ、早く行って、
土ふるいの小童の手を戒めてやれ、
パルヴィーズ*の目やケイコバード*の頭を
なぜああ手あらにふるうのかえ!

60

朝風に薔薇《ばら》の蕾《つぼみ》はほころび、
鶯《うぐいす》も花の色香に酔《よ》い心地《ごこち》。
お前もしばしその下蔭で憩えよ。
そら、花は土から咲いて土に散る。

61

雲は垂れて草の葉末に涙ふる、
花の酒がなくてどうして生きておれる?
今日わが目をなぐさめるあの若草が
明日はまたわが身に生えて誰が見る?

62

新春《ノールーズ》* 雲はチューリップの面に涙、
さあ、早く盃《さかずき》に酒をついでのまぬか。
いま君の目をたのします青草が
明日はまた君のなきがらからも生えるさ。

 

63

川の岸べに生え出《い》でたあの草の葉は
美女の唇《くちびる》から芽を吹いた溜《た》め息《いき》か。
一茎《ひとくき》の草でも蔑《さげす》んで踏んではならぬ、
そのかみの乙女の身から咲いた花。

64

酒のもう、天日はわれらを滅ぼす、
君やわれの魂を奪う。
草の上に坐《すわ》って耀《かがよ》う酒をのもう、
どうせ土になったらあまたの草が生える!

(65)

ありし日の宮居《みやい》の場所で或《あ》る男が、
土を両足で踏みつけた。
土は声なき声上げて男に言った――
待てよ、お前も踏まれるのさ!

66

よき人よ、盃と酒壺《さかつぼ》を持って来い、
水のほとりの青草の茂みのあたり。
そら、めぐる車*は月の面《おも》、花の姿を
くりかえし盃にしたり、また壺にしたり。

67

昨夜酔うての仕業《しわざ》だったが、
石の面《も》に素焼の壺を投げつけた。
壺は無言の言葉で行った――
お前もそんなにされるのだ!

68

なんでけがれ*がある、この酒甕《さけがめ》に?
盃にうつしてのんで、おれにもよこせ、
さあ、若人よ、この旅路のはてで
われわれが酒甕とならないうちに。

(69)

昨日壺をつくる所へ立ちよったら、
壺つくりは土をこねてしきりに腕をふるっていた。
盲の人は気もつかなかったろう、しかし
その手の中におれは亡《な》き人の土を見た。

(70)

壺つくりよ、心あるならその手を休めよ、
尊い土に無礼なことはやめよ!
ファレイドゥーン*の指やケイホスロウ*の掌《てのひら》を
ろくろに取ってどうしようてんだよ?

71

壺つくりの仕事場へ来て見れば、
壺つくり朗らかにろくろをまわしては、
みかどの首もこじきの足もごっちゃに、
手に取ってつくるは壺の首と足だ。

72

この壺も、おれと同じ、人を恋《こ》う嘆きの姿、
黒髪に身を捕われの境涯か。
この壺に手がある、これこそはいつの日か
よき人の肩にかかった腕なのだ。

73

壺つくりの仕事場に昨日《きのう》よって見ると、
千も二千もの土器《かわらけ》がならべてあったよ。
そのおのおのが声なき言葉でおれにきくよう――
壺つくり、売り手、買い手は誰なのかと。

小川亮作訳『ルバイヤート』35~56「万物流転」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第4章「万物流転(ばんぶつるてん)」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

万物流転《ばんぶつるてん》

35

若き日の絵巻は早も閉じてしまった、
命の春はいつのまにか暮れてしまった。
青春という命の季節は、いつ来て
いつ去るともなしに、過ぎてしまった。

36

ああ、掌中《しょうちゅう》の珠《たま》も砕けて散ったか。
血まみれの肺腑《はいふ》は落ちた、死魔の足下。
あの世から帰った人はなし、きく由《よし》もない――
世の旅人はどこへ行ったか、どうなったか?

37

幼い頃には師について学んだもの、
長じては自ら学識を誇ったもの。
だが今にして胸に宿る辞世の言葉は――
水のごとくも来たり、風のごとくも去る身よ!

38

同心の友はみな別れて去った、
死の枕べにつぎつぎ倒れていった。
命の宴《うたげ》に酒盛りをしていたが、
ひと足さきに酔魔のとりことなった。

39

天輪よ、滅亡はお前の憎しみ、
無情はお前 日頃《ひごろ》のつとめ。
地軸よ、地軸よ、お前のふところの中にこそは
かぎりなくも秘められている尊い宝*!

40

日のめぐりは博士の思いどおりにならない、
天宮など七つとも八つとも数えるがいい。
どうせ死ぬ命だし、一切の望みは失せる、
塚蟻《つかあり》にでも野の狼《おおかみ》にでも食われるがいい。

41

一滴の水だったものは海に注ぐ。
一握の塵《ちり》だったものは土にかえる。
この世に来てまた立ち去るお前の姿は
一匹の蠅《はえ》――風とともに来て風とともに去る。

(42)

この幻の影が何であるかと言ったっても、
真相をそう簡単にはつくされぬ。
水面に現われた泡沫《ほうまつ》のような形相は、
やがてまた水底へ行方《ゆくえ》も知れず没する。

43

知は酒盃《しゅはい》をほめたたえてやまず、
愛は百度もその額《ひたい》に口づける。
だのに無情の陶器師《すえし》は自らの手で焼いた
妙《たえ》なる器を再び地上に投げつける。

44

せっかく立派な形に出来た酒盃なら、
毀《こわ》すのをどこの酒のみが承知するものか?
形よい掌《て》をつくってはまた毀すのは
誰のご機嫌《きげん》とりで誰への嫉妬《しっと》やら?

45

時はお前のため花の装《よそお》いをこらしているのに、
道学者などの言うことなどに耳を傾けるものでない。
この野辺《のべ》を人はかぎりなく通って行く、
摘むべき花は早く摘むがよい、身を摘まれぬうちに。

46

この永遠の旅路を人はただ歩み去るばかり、
帰って来て謎《なぞ》をあかしてくれる人はない。
気をつけてこのはたごやに忘れものをするな、
出て行ったが最後二度と再び帰っては来れない。

47

酒をのめ、土の下には友もなく、またつれもない、
眠るばかりで、そこに一滴の酒もない。
気をつけて、気をつけて、この秘密 人には言うな――
チューリップひとたび萎《しぼ》めば開かない。

(48)

われは酒屋に一人の翁《おきな》を見た。
先客の噂《うわさ》をたずねたら彼は言った――
酒をのめ、みんな行ったきりで、
一人として帰っては来なかった。

49

幾山川を越えて来たこの旅路であった、
どこの地平のはてまでもめぐりめぐった。
だが、向うから誰一人来るのに会わず、
道はただ行く道、帰る旅人を見なかった。

50

われらは人形で人形使いは天さ。
それは比喩《ひゆ》ではなくて現実なんだ。
この席で一くさり演技《わざ》をすませば、
一つずつ無の手筥《てばこ》に入れられるのさ。

51

われらの後にも世は永遠につづくよ、ああ!
われらは影も形もなく消えるよ、ああ!
来なかったとてなんの不足があろう?
行くからとてなんの変りもないよ、ああ!

52

土の褥《しとね》の上に横《よこた》わっている者、
大地の底にかくれて見えない者。
虚無の荒野をそぞろ見わたせば、
そこにはまだ来ない者と行った者だけだよ。

53

人呼んで世界と言う古びた宿場は、
昼と夜との二色の休み場所だ。
ジャムシード*らの後裔《こうえい》はうたげに興じ、
バラーム*らはまた墓に眠るのだ。

54

バラームが酒盃を手にした宮居《みやい》は
狐《きつね》の巣、鹿《しか》のすみかとなりはてた。
命のかぎり野驢を射たバラームも、
野驢に踏みしだかれる身とはてた。

55

廃墟と化した城壁に烏《からす》がとまり、
爪の間にケイカーウス*の頭《こうべ》をはさみ、
ああ、ああと、声ひとしきり上げてなく――
鈴の音*も、太鼓《たいこ》のひびきも、今はどこに?

56

天に聳《そび》えて宮殿は立っていた。
ああ、そのむかし帝王が出御《しゅつぎょ》の玉座、
名残りの円蓋《えんがい》で数珠《じゅず》かけ鳩《ばと》が、
何処《クークー》、何処《クークー》とばかり啼《な》いていた。

 

小川亮作訳『ルバイヤート』26~34「太初のさだめ」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第3章「太初(はじめ)のさだめ」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

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太初《はじめ》のさだめ

26

あることはみんな天《そら》の書に記されて、
人の所業《しわざ》を書き入れる筆もくたびれて*、
さだめは太初《はじめ》からすっかりさだまっているのに、
何になるかよ、悲しんだとてつとめたとて!

27

まかせぬものは昼と命の短さ、
まかせぬものに心よせるな。
われも君も、人の掌《て》の中の蝋《ろう》に似《に》て、
思いのままに弄《もてあそ》ばれるばかりだ。

28

嘆きのほかに何もない宇宙! お前は、
追い立てるのになぜ連れて来たのか?
まだ来ぬ旅人も酌《く》む酒の苦さを知ったら、
誰がこんな宿へなど来るものか!

29

おお、七と四*の結果にすぎない者が、
七と四の中に始終《しじゅう》もだえているのか?
千度ならず言うように酒をのむがいい、
一度行ったら二度と帰らぬ旅路だ。

(30)

土を型に入れてつくられた身なのだ、
あらましの罪けがれは土から来たのだ。
これ以上よくなれとて出来ない相談だ、
自分をこんな風につくった主が悪いのだ。

(31)

礼堂《マスジッド》*のともしび、火殿《ケネシト》*のけむりがなんだ。
天国の報い、地獄の責めがなんだ。
見よ、天の書を、創世の主は
あることはみんな初発《はつ》の日に書いたんだ。

(32)

宇宙の真理は不可知なのに、なあ、
そんなに心を労してなんの甲斐《かい》があるか?
身を天命にまかして心の悩みはすてよ、
ふりかかった筆のはこび*はどうせ避《さ》けられないや。

33

天に声してわが耳もとに囁《ささや》くよう――
ひためぐるこのさだめを誰が知っていよう?
このめぐりが自由になるものなら、
われさきにその目まぐるしさを逃《のが》れたろう。

34

善悪は人に生まれついた天性、
苦楽は各自あたえられた天命。
しかし天輪を恨《うら》むな、理性の目に見れば、
かれもまたわれらとあわれは同じ。

 

小川亮作訳『ルバイヤート』1~15「解き得ぬ謎」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』のまえがきと第1章「解き得ぬ謎」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

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まえがき

ここに訳出した『ルバイヤート』(四行詩)は、十九世紀のイギリス詩人フィツジェラルド Edward FitzGerald の名訳によって、欧米はもちろん、広く全世界にその名を知られるにいたった十一-十二世紀のペルシアの科学者、哲学者また詩人、オマル・ハイヤーム 〔Omar Khayya_m(’Umar Khaiya_m)〕の作品である。
フィツジェラルドが、一八五九年にその翻訳を自費出版で初版わずかに二五〇部だけ印刷した時には、若干《じゃっかん》を友人に分けて、残りはこれを印刷した本屋に一冊五シリングで売らせたのであったが、当時はいっこうに人気がなく、いくら値を下げても買手がつかないので、ついには一冊一ペニイの安値で古本屋の見切り本の箱の中にならべられる運命となった。出版してから三年ばかり後のこと、ラファエル前派の詩人ロゼッテイの二人の友人が、散歩の途次偶然、埃《ほこり》に埋もれたこの珍しい本を発見して、彼にその話をした。ロゼッテイは同志の詩人スウィンバーンと一緒に件《くだん》の店に出かけて行って、ちょっとその本を覗《のぞ》いただけで直ちにその価値を認め、おのおの数冊ずつ買って帰った。翌日彼らは友人に贈るためになお数冊買うつもりでまたその店へ行ったが、店の者は前には一冊一ペニイだったのを今度は二ペンスだと言った。ロゼッテイは怒りと諧謔《かいぎゃく》をまぜた抗議口調でその男に食ってかかったが、結局二倍の値段で少しばかり買って立ち去った。それから一、二週間後には残りの『ルバイヤート』の値段は一躍一ギニイにも跳《は》ね上ったという。
このように数奇な運命をたどったフィツジェラルドの翻訳は、ラファエル前派の詩人たちの推称によってようやく識者の注目をひくにいたり、初版後九年を経た一八六八年に第二版、それから四年後の七二年に第三版、また七九年には最後の第四版が出版され、フィツジェラルドの死後『ルバイヤート』はますます広く読まれるにいたった。ことに十九世紀末から今世紀の初めにかけてオマル・ハイヤーム熱は一種の流行となって英米を風靡《ふうび》し、その余波は大陸諸国にも及んだ。ロンドンやアメリカには『オマル・ハイヤーム・クラブ』が設立され、またパリでは彼の名が、酒場の看板にまで用いられるほどであった。フィツジェラルドの翻訳はいろいろの体裁で翻刻され、各国語に訳された。さらにまたフィツジェラルドのこの奔放《ほんぽう》な韻文訳以外にも、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、イタリイ語等への直接ペルシア語からの韻文や散文の訳が数多く試みられた。わが国でも、明治四十一年(一九〇八年)にはじめて蒲原有明《かんばらありあけ》がフィツジェラルドの訳書中から六首を選んで重訳紹介して以来、今日までに多くの翻訳書が出た。今ではもうフィツジェラルドの名訳はそれ自身英文学のクラシックに列せられている。オマル・ハイヤームの名はこうして世界的なものとなった。
詩聖ゲーテはその有名な『西東詩集』の中で、人も知るごとく、ペルシア語の原文さえも引用して、古きイランの詩人たちを推称した。彼は言った――「ペルシア人は五世紀間の数多い詩人の中で、特筆に値いする詩人としてわずかに七人の名しか挙げないと言われている。しかし彼らが斥《しりぞ》ける残余の詩人の中にさえも、私などよりは遙《はる》かに傑《すぐ》れた人々がたくさんいるのにちがいない」と。自負心の強いこの詩人にしてこの言《げん》をなした、もって傾倒のほどが知られよう。だが彼の挙げた七人の詩人の中にはわがオマル・ハイヤームの名は含まれていない。ゲーテはオマルをも『ルバイヤート』をも知らなかったものと見える。ハイヤームの詩人としての名は昔も今もペルシアではすこぶる高い。だから田舎《いなか》の農夫でもその詩の一首や二首は知っている。現代イラン人の書いた文学史にはオマルの名は八大詩人の中に数え上げられている。それにもかかわらず、彼の詩に盛られた思想が、狂信的なイスラム教(回教)と相容《あいい》れないばかりか、これを冒涜《ぼうとく》する性質さえ持っていたために、ペルシアにおけるイスラム教勢力が衰えた最近代にいたるまでは、文学史上でハイヤームの詩人的才能を讃《たた》えた例はなかったもので、したがってヨーロッパのペルシア学者も、フィツジェラルドや彼にオマルを推称した友人の東洋学者以前には、あまり『ルバイヤート』に注意を払わなかった。そういうわけで、一八三二年に死んだゲーテとしてはフィツジェラルドの翻訳(一八五九年出版)に接する機会はもちろんなかったし、またそれ以前のドイツ語訳によってハイヤームを知るという機会もなかった。彼はまさに「私などよりは遙かに傑れた人々がたくさんいるのにちがいない」と予期したとおり、最も傑れた詩人の一人を逸したわけである。
自ら挙げた七人のペルシア詩人中の一人で、十四世紀に生きていたハーフェズのペシミズム溢れる抒情詩から、ゲーテは多大の影響を受けたと言われている。もしも彼にしてハーフェズの創作上の先師であったオマル・ハイヤームを知っていたならば、この東方に深く憧《あこが》れた詩人の『西東詩集』には、さらに色濃いオマル的な懐疑の色調が加えられたかも知れない。

本書に収めた一四三首はペルシア語の原典から直接訳したもので、テクストにはオマルの原作として定評のあるものだけを厳選し、また最近のイランにおける新しい配列の仕方に従って、「解き得ぬ謎《なぞ》」、「生きのなやみ」、「太初《はじめ》のさだめ」、「万物流転《ばんぶつるてん》」、「無常の車」、「ままよ、どうあろうと」、「むなしさよ」、「一瞬《ひととき》をいかせ」の八部に分類した。もちろんハイヤームが最初の写本を友人に示した当時にはこのような配列順序にはよらなかったであろう。しかも彼自身の配列方法は今では不明であるし、普通の写本のようにイロハ順で漫然と並べるよりも、内容の類似点を捉《とら》えたこの配列の方が遙かに合理的だと考える。各四行詩に附した番号はこの分類にはかかわりなく、全体に通ずる通し番号である。オマルのものかどうかなお多少疑いの余地あるものは冒頭の番号を( )で包んだ。他はすべて彼の作として異論がない。

はじめ、フィツジェラルドの英訳をテクストとした森亮《もりりょう》氏の傑《すぐ》れた訳業に啓発されて、全部|有明《ありあけ》調の文語体で翻訳したが(解説二、「ルバイヤートについて」の項参照)、その後|佐藤春夫《さとうはるお》氏のすすめにより口語体に改めた。同氏の御親切に対して深謝するものである。なお挿絵は小林孔《こばやしこう》氏に負うところ大である。
昭和二十二年八月二十日
松戸にて   訳者

目次

まえがき
解き得ぬ謎《なぞ》1-15
生きのなやみ  16-25
太初《はじめ》のさだめ  26-34
万物流転《ばんぶつるてん》35-56
無常の車 57-73
ままよ、どうあろうと 74-100
むなしさよ 101-107
一瞬《ひととき》をいかせ 108-143

解き得ぬ謎《なぞ》


  1

チューリップのおもて、糸杉のあで姿よ、
わが面影のいかばかり麗《うるわ》しかろうと、
なんのためにこうしてわれを久遠の絵師は
土のうてなになんか飾ったものだろう?

もともと無理やりつれ出された世界なんだ、
生きてなやみのほか得るところ何があったか?
今は、何のために来《きた》り住みそして去るのやら
わかりもしないで、しぶしぶ世を去るのだ!

自分が来て宇宙になんの益があったか?
また行けばとて格別変化があったか?
いったい何のためにこうして来り去るのか、
この耳に説きあかしてくれた人があったか?

魂よ、謎《なぞ》を解くことはお前には出来ない。
さかしい知者*の立場になることは出来ない。
せめては酒と盃《さかずき》でこの世に楽土をひらこう。
あの世でお前が楽土に行けるときまってはいない。

生きてこの世の理を知りつくした魂なら、
死してあの世の謎も解けたであろうか。
今おのが身にいて何もわからないお前に、
あした身をはなれて何がわかろうか?

(6)

いつまで水の上に瓦《かわら》を積んで*おれようや!
仏教徒や拝火教徒の説にはもう飽《あ》きはてた。
またの世に地獄があるなどと言うのは誰か?
誰か地獄から帰って来たとでも言うのか?

創世の神秘は君もわれも知らない。
その謎は君やわれには解けない。
何を言い合おうと幕の外のこと、
その幕がおりたらわれらは形もない。

この万象《ばんしょう》の海ほど不思議なものはない、
誰ひとりそのみなもとをつきとめた人はない。
あてずっぽうにめいめい勝手なことは言ったが、
真相を明らかにすることは誰にも出来ない。

このたかどのを宿とするかの天体の群
こそは博士らの心になやみのたね
だが、心して見ればそれほどの天体でさえ
揺られてはしきりに頭を振る身の上。

10

われらが来たり行ったりするこの世の中、
それはおしまいもなし、はじめもなかった。
答えようとて誰にはっきり答えられよう――
われらはどこから来てどこへ行くやら?

11

造物主が万物の形をつくり出したそのとき、
なぜとじこめたのであろう、滅亡と不足の中に?
せっかく美しい形をこわすのがわからない、
もしまた美しくなかったらそれは誰の罪?

12

苦心して学徳をつみかさねた人たちは
「世の燈明*」と仰がれて光りかがやきながら、
闇《やみ》の夜にぼそぼそお伽《とぎ》ばなしをしたばかりで、
夜も明けやらぬに早《は》や燃えつきてしまった。

(13)

この道を歩んで行った人たちは、ねえ酒姫《サーキイ》*、
もうあの誇らしい地のふところに臥《ふ》したよ。
酒をのんで、おれの言うことをききたまえ――
あの人たちの言ったことはただの風だよ。

(14)

愚かしい者ども知恵《ちえ》の結晶をもとめては
大空のめぐる中でくさぐさの論を立てた。
だが、ついに宇宙の謎には達せず、
しばしたわごとしてやがてねむりこけた!

15

綺羅星《きらぼし》の空高くいる牛――金牛星、
地の底にはまた大地を担《にな》う牛*もいるし、
さあ、理性の目を開き二頭の牛の
上下にいる驢馬《ろば》の一群を見るがよい。

小川亮作訳『ルバイヤート』16~25「生きのなやみ」

岩波文庫、小川亮作訳、オマル・ハイヤーム著『ルバイヤート』の第2章「生きのなやみ」をお届けします。テキストの電子化は「青空文庫」さんによるものです。ここに感謝して利用させて頂きます。

生きのなやみ

16
今日こそわが青春はめぐって来た!
酒をのもうよ、それがこの身の幸だ。
たとえ苦くても、君、とがめるな。
苦いのが道理、それが自分の命だ。

17
思いどおりになったなら来はしなかった。
思いどおりになるものなら誰(た)が行くものか?
この荒家(あばらや)に来ず、行かず、住まずだったら、
ああ、それこそどんなによかったろうか!

18
来ては行くだけでなんの甲斐(かい)があろう?
この玉の緒の切れ目はいったいどこであろう?
罪もなく輪廻(りんね)の環(わ)の中につながれ、
身を燃やして灰(はい)となる煙はどこであろう?

19
ああ、空(むな)しくも齢(よわい)をかさねたものよ、
いまに大空の利(と)鎌(かま)が首を掻(か)くよ。
いたましや、助けてくれ、この命を、
のぞみ一つかなわずに消えてしまうよ!

20
よい人と一生安らかにいたとて、
一生この世の栄耀(えよう)をつくしたとて、
所詮(しょせん)は旅出する身の上だもの、
すべて一場の夢さ、一生に何を見たとて。

21
歓楽もやがて思い出と消えようもの、
古き好(よしみ)をつなぐに足るのは生(き)の酒のみだよ。
酒の器にかけた手をしっかりと離すまい、
お前が消えたって盃(さかずき)だけは残るよ!

22
ああ、全く、休み場所でもあったらいいに、
この長旅に終点があったらいいに。
千万年をへたときに土の中から
草のように芽をふくのぞみがあったらいいに!

23
二つ戸口のこの宿にいることの効果(しるし)は
心の痛みと命へのあきらめのみだ。
生の息吹(いぶき)を知らない者が羨(うらや)ましい。
母から生まれなかった者こそ幸福だ!

24
地を固め天のめぐりをはじめたお前は
なんという痛恨を哀れな胸にあたえたのか?
紅玉の唇(くちびる)や蘭麝(らんじゃ)の黒髪(くろかみ)をどれだけ
地の底の小筥(こばこ)に入れたのか?

25
神のように宇宙が自由に出来たらよかったろうに、
そうしたらこんな宇宙は砕きすてたろうに。
何でも心のままになる自由な宇宙を
別に新しくつくり出したろうに。

 

書籍紹介:イスラム2.0(SNSが変えた1400年の宗教観)

コロナの影響で外出を控えていましたが、不要不急でない用があり、名古屋に出かけました。少し時間があったので大型書店の店頭でこの本を見つけました。

題名は『イスラム2.0(SNSが変えた1400年の宗教観)』というちょっと風変わりなタイトルに魅かれました。著者は飯山陽さん。初めて知った著者でしたが、新潮新書『イスラム教の論理』という書籍も出している方でして、私の勉強不足でした。表紙カバーに記載されている著者の紹介は以下の通りです。ツイッターでも発信しているようです。

さて、内容ですが、私が店頭で見て魅かれたのは、そのタイトルです。イスラム2.0とは何だろうかということでした。そこで中身をみると42頁に次のようにかかれていました。
2000年以降、ジハード主義が世界中で急速に拡大した背景にあるのは「イスラム2.0」であると私は考えています。イスラム2.0とは、ここ10年ほどの間に世界で発生したイスラム教に関わるような様々な事象を解釈するために、私が創出した分析概念です。
この概念においてイスラム教は、「イスラム教についての知識」というOSを搭載し、それに従って考えたり行動したりする存在だととらえられます。イスラム教が勃興した七世紀からインターネットが普及するまでの約1400年間にわたり、イスラム教徒たちが搭載してきた「イスラム教についての知識」が、OS1.0です。インターネットが一般に普及し検索エンジンやSNS、動画サイトなどが登場した2000年代初頭から、そのイスラム1.0が2.0へとアップデートしています。現在は、世界中のイスラム教徒の脳内OSが2.0に更新されつつある移行期、というのが私の認識です。

つまり「イスラム2.0」というのは著者が創出した分析手法ということです。中々面白い発想だと思いました。1400年もの間伝えられてきたイスラム教徒たちの伝統的な社会の今をITの世界でのOSという概念に例えて考察しようとしているのです。

分析手法は分かりました。その方法でどのような分析がなされたのでしょうか。詳しい内容をここで書いてしまうと販売を妨害してしまいます(笑)。詳しいことを知りたければ、この本を買って読んでみてください。新書版ですので税別で880円という手軽に買える価格です。

要は、1.0のOS時代には、一人一人のイスラム教徒に本当のイスラムの教えが正確にが伝えられていなかった。イスラムの知識は一部の法学者たちの独占販売的なものであって、それを皆鵜呑みにしてきたのだった。しかし、現在のイスラム教徒の脳内にはOS2.0を搭載するようになったので、イスラム法学者のいうことだけを信じるような世界ではなくなったというのである。

これまでコーランの内容を事細かく知って理解するのは難しかったが、いまではインターネットを使えばコーランの内容を誰もが知ることができて、自分で内容を理解することができるようになっているという。その結果、イスラムに対する考え方が覚醒された結果が現在のイスラムの背景であるという。世界中で多発しているテロ事件、ジハードを実行するイスラム教徒の背景にはOS2.0による、彼らの周りの環境変化があるという。

まだ最後まで読み終えていないのであるが、十分面白い本です。また、私の知らない面での情報が沢山あって新鮮でもあります。中東・イスラム世界に関心がある人は是非とも読んで頂きたいものです。そして、ご自分で考えてみてください。

中東の美:ラスター彩の輝き

前回、白瑠璃碗、つまりガラス器を取り上げたので、今回も焼き物を取り上げよう。今回はガラスではなくと陶器やタイルである。冒頭の画像はINAXライブミュージアム「世界のタイル博物館」コレクションを紹介している小冊子『ラスター彩タイル』の表紙である。副題として「天地水土の輝き」とある。発行は2013年9月である。ラスター彩とはなんであろうか。この小冊子では「ラスター彩は器の表面に描かれた図柄が金属的な輝きを呈する陶器の彩画技法で、イスラーム地域で特に発展した。」と説明されている。そしてINAX社が集めた12世紀~13世紀に焼かれた美しいタイルが紹介されている。無断転載は禁止なのでここに紹介はできなくて残念であるが、INAXのホームページから見ることができるのではないだろうか。ところで、ラスター彩は金属的な輝きをいかにして発光させているのだろうか。インターネットでは以下のように説明されていた。

ラスター彩とは:
① ウィキペディア
ラスター彩(ラスターさい、Lusterware)とは、焼成した白い錫の鉛釉の上に、銅や銀などの酸化物で文様を描いて、低火度還元焔焼成で、金彩に似た輝きを持つ、9世紀-14世紀のイスラム陶器の一種。ラスター(luster)とは、落ち着いた輝きという意味。
② 大辞林 第三版
イスラム陶器の一。スズ白釉はくゆうをかけて焼いた素地きじに銀・銅などの酸化物で文様を描き低火度で焼成したもの。金属的輝きをもつ。
③ 百科事典マイペディア
陶器の表面に金属や金属酸化物のフィルム状の被膜を600〜800℃の低火度で焼きつけ,真珠風の光沢や虹彩(こうさい)を出した焼物。この技法は9世紀にメソポタミアで始まったといわれ,次いでエジプトで発達し,のち12,13世紀のペルシア陶器に多く用いられた。
④ 世界大百科事典 第2版
陶器の釉薬において金属酸化物に起因する輝き,あるいはこの輝きをもつタイプのイスラム陶器をいう。日本では〈虹彩手〉〈きらめき手〉と呼ばれている。技法的には,スズ釉による白色陶器(素地を青緑,藍彩にする例もある)に銀,銅酸化物(硝酸銀,硫化銅)を含む顔料で絵付をし,低火度還元炎で再度焼成する。呈色は黄金色が多いが,釉薬の成分,焼成温度などによって微妙に変化するので,黄褐色,赤銅色を呈することもある。 ラスター彩の技法は9世紀にメソポタミアで創始され,次いでエジプトに伝えられてファーティマ朝下で発達し,王朝滅亡後はイランに伝播した。

釉薬に金属、特に錫を混ぜるような技法であるらしい。かといって、そのように釉薬を調整すればできるというものではない。焼成の温度や陶土の質だとか、ラスター彩のあの本当の輝きを出すことは非常に難しいということだ。

これは私の手元にある1986年発行・保育社カラーブックス『ペルシャ陶器』500円の表紙である。著者は人間国宝の加藤卓男さんである。私の手元には2冊あり、もう一冊は表紙を広げると次のように著者のサインがある。陶器の作品に描かれる見慣れた銘のそばにペルシャ文字でتاکو کاتو と付記している。最初の تا の部分はちょっと変形させているようだが。著者の加藤卓男さんは、ペルシャ陶器のラスター彩に魅せられて、イランに通い、ついにラスター彩を復元することができた陶芸家なのである。岐阜県多治見市に1804年に開いた幸兵衛窯の第六代目である。現在は七代目の代になっている。幸兵衛窯では彼の作品やコレクションが見学できるので、私は時々訪れることがある。

この『ペルシャ陶器』によると釉薬のことや、イスラム模様のこと、各地域のラスター彩のことなどを知ることができる。

また、上の画像の『やきもののシルクロード』という書籍では加藤卓男さんが追い求めたペルシャ陶器のことを味のある文章と絵で著している。素晴らしい書籍である。彼はペルシャ風の絵をうまく描いており。陶板も数多く製作しており、幸兵衛窯では買い求めることができる。

最後は圧巻の『ラスター彩陶・加藤卓男作品集』を紹介して終わろう。

著作権に触れるといけないので遠慮して作品集の写真の中の一枚だけアップさせてもらおうとするのだが、一枚を選ぶのが非常に難しい。読者はどうかネットの中で、検索して彼の作品をご覧いただきたい。いや実際に幸兵衛窯に行って、本物をみていただきたいものである。

 

 

 

 

書籍紹介:正倉院ガラスは何を語るか

今回紹介する本は冒頭の中公新書・由水常雄著『正倉院ガラスは何を語るか』である(2009年発行ですが、今でも新鮮な内容です)。副題として「白瑠璃椀に古代世界が見える」がついている。私を含め多くの日本人はシルクロードが好きである。遠い昔、西域のほうからラクダやロバを率いた隊商が異国情緒豊かな洗練された物品を運んできた。その頃は唐であったろうか、中国からはシルクが運ばれていった。シルクロードの貿易産物は奈良の都にも届いたのであった。毎年秋に開催される正倉院展には多くのシルクロードファンが押し寄せる。

正倉院所蔵物の中でも有名な物の一つがガラスの瑠璃碗であろう。子供の時に美術の教科書で見たような気がする。あるいは歴史の教科書であったかもしれない。シルクロードの長い道のりを経て、日本までやってきた浪漫を感じさせる碗であった。

本書の冒頭には次のように書かれている。
奈良の東大寺正倉院に奈良時代から今日まで伝えられてきた多くの宝物は、世界最高の文化遺産として、わが国はもちろんのこと世界中の人々によって、驚異の遺宝として、称賛されている。そして、これらの宝物のなかでもとりわけ美しく、華やかなロマンをたたえているのが、異国情緒満載のガラス器類である。東大寺正倉院には、現在六点のガラス器が宝蔵されている。いずれも外国からもたらされた外来文化を象徴するガラス器である。1965年に発行された正倉院ガラスの正式な学術調査報告書、正倉院に事務所編『正倉院のガラス』(日本経済新聞社)によるとそれら六点のガラス器については、「瑠璃唾壺(るりだこ)こそ平安中期の奉献である確証はあるが、他のガラス容器はその性格が天平勝宝(てんぴょうしょうほう)4年のものと見ても別段さしつかえあるとは考えられない。」と解説している。この天平勝宝4年(752年)には、東大寺の大仏がほと完成して、盛大な大仏開眼供養会が開催された。国内外から多数の参拝者が訪れ、外国の要人たちからも多くの宝物類が奉献された。この報告書『正倉院のガラス』に基づいて、中学、高校の歴史教科書をはじめ、百科事典等の辞典類にも、この記述が一般化されていて、今日に至るまで、これが正倉院ガラス器の一般通念となってきたのであった。

私が子供の頃に見たと先述したのは間違いではなかったようだ。本書の内容を知ってもらうために目次の画像を以下にアップしてみよう。



正倉院に宝蔵されている白瑠璃碗についての説明、それがササン朝時代の経済活動によって日本にたどり着いた経緯などが第1章、第2章で知ることができる。そして、本書の魅力は白瑠璃碗が正倉院に辿り着くまでの数奇な運命のような道のりを解き明かしたことである。まるで、サスペンスドラマや推理小説を読むような感じであった。ガラス器であるから構造的なちょっと難しい部分もあったり、中央アジアのガラス製作の工房などをたずねるのも、サスペンスドラマで犯人の足取りを辿るような感覚であった。あの白瑠璃碗はずっと正倉院に存在していたのではなかったのである。保存されている物のリストがいくつかの時代に作成されており、著者はそれを綿密に調べた結果が述べられている。詳しいことを書くとドラマの結末になるので、そこまでにしよう。

白瑠璃碗が何処で制作されたのか?についても著者はきめ細かな調査・考察を重ねている。東京大学東洋文化研究所教授、深井博士の説によると製作地はシリアやエジプトなどのローマ帝国の東方領ではなくて、イラン高原の古代オリエントの伝統が濃厚に残っていた地方(ギラーン州)と推定、製作年代は三世紀以降七世紀以前とされている(34頁)。しかしながら、著者はギラーン州は製作地として考えることもできようが、古代貿易ルートの集荷地と考えることのほうがより妥当性があろうとして、実際の製作地は現在のイラクのキッシュであると推定しているのである。


ギラーン州が白瑠璃碗の製作地あるいは交易で栄えた集積地であったとする両者の見解について、私は「えっ」と思ったのではある。このブログでも私は何度かギラーン州(私はギーラーン州と書きます。ペルシャ語の記載は گیلان  ですから)のことを書いています。そこでゲットした壺のことも書きましたね。しばらく住んでいたところなので、古代オリエントの伝統が濃厚に残っているような土地だとは思ったこともなかったのです。またカスピ海があるので船による交易はある程度盛んではありますが、南をエルブルズの山脈で阻まれたこの地域はそれほど交易で栄えた地域とは思っていないのです。でも実際に白瑠璃碗がここでも見つかっているとのことなので、改めてこの地域に対する興味が湧いてきました。今度行ったときにバザールの奥の方で探してみたりしてみたいものです。この白瑠璃碗は世界で2000個程発見されているとのこと。そこで著者はキッシュでは組織だった工房のもとで厳格に管理された状態で大量に生産できるシステム、技術があったとしています。

 

そして、実際に白瑠璃碗を複製したというのである。ここで、私はこの著者の本気度に感心したのであった。はじめ、ササン朝ペルシャから伝来したガラス器を愛でて、その背景となったペルシャの世界に夢を膨らませる内容だと思っていたのが、違った。面白かった。そして、復元ができているなら買うこともできるのだろうか?と思うのは当然である。インターネットで検索すると、ありました。ヤフーオークションにもでていました。楽天ショッピングにもあったかな。いずれにせよ、この著者が監修して作られた作品があるのです。そういうことなのです。