ササン朝ペルシア(1)

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ササン朝ペルシアを手元にある数研出版『世界史辞典』で引いてみると、以下のように記載されている。

ササン朝(Sāsān)226-651 中世ペルシアの王朝。名はその先祖イスタフルのマズダ教の祭司ササンに基づくという。アルダシール1世(226-241)がパルティアの衰微に乗じて、クテシフォンに即位、諸王の王と号し、ゾロアスター教を国教としたが、総じて他宗教にも寛容。領土を広げて古代ローマ帝国と対立。6世紀中ごろ、ホスロー1世のとき、黄金時代を現出、しばしば東ローマ帝国に侵入したが、同世紀末から衰え、ニハーヴァンドの戦いでイスラム帝国に敗れて崩壊、まもなく名実ともに滅んだ。ペルシア固有の華やかな技法にギリシア、インド的要素を加えた銀器・青銅器・ガラス器・連珠紋模様の絹織物などのササン朝美術はシルクロードを通じて当方に伝えられた。

ササン朝の特徴の第一は上述されている中の1つ「ゾロアスター教の国教化」であろう。ゾロアスター教については既にこのブログの中でアケメネス朝の王族が信仰していたことを述べた。ダレイオス大王はゾロアスター教の神・アフラマズダが我を王位に就けたと宣言している。ササン朝になると、更にその傾向は強くなり、ササン朝時代のレリーフには「王権神授」を表す絵柄が多くみられる。

上の写真はNaqshe-Rajabにあるレリーフである。アルデシール1世の王権神授の図である。下の写真はターゲ・ボースタンにあるレリーフである。これはホスロー2世がアナヒータ神とアフラマズダ神から光輪を授けられている図である。

ターゲ・ボースタンにはこのほかにも美しいレリーフがある。次の写真は天使あるいはアナヒータ神でしょうか。非常に美しいと思いました。(写真は筆者が撮ったものである)

第二の特徴は、ササン朝では諸文明を融合した高度な文化が生まれたことである。優れた様式や技術は、ササン朝を滅ぼしたイスラム世界にも継承されるとともに広く東西各地へ伝播し、その地方の文化に影響を与えた。わが日本にもその影響が奈良に残っている。法隆寺の「獅子狩紋錦(ししがりもんきん)」には日本に生息しない獅子(ライオン)を描かれている。ササン朝ペルシアの「帝王獅子狩文銀皿」の獅子をモデルにしたという説がある。山川出版のヒストリカには次の図でササン朝文化の伝播が説明されている。

奈良正倉院にある漆胡瓶(しっこへい)がササン朝の影響を受けたものであり、同様に他地域でも同じように影響を受けた瓶が存在するという説明である。ササン朝の洗練された文化が銀器・青銅器・ガラス器などの優れた工芸品を生み出した。そして、それらの品はシルクロードを経て各地へ伝わった。東方へのシルクロードの中国の起点(終点)は長安であった。そして、当時の日本へと伝わったのである。奈良正倉院には西方から伝わった工芸品が多数保存されていることを読者はご存知の通りである。今回はここまでにしておきましょう。

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